大判例

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東京高等裁判所 昭和24年(新を)3228号 判決 1957年3月02日

控訴人 原審検察官 鈴木悟郎

被告人 神田俊雄

弁護人 高見沢博

検察官 原長栄

主文

原判決を破棄する。

本件を台東簡易裁判所に差し戻す。

理由

本件控訴の趣意は、末尾に添附した台東区検察庁検察官副検事新堀虎六作成名義の控訴趣意書と題する書面に記載してあるとおりであり、これに対する答弁は、末尾に添附した弁護人高見沢博作成名義の答弁書と題する書面に記載してあるとおりであるから、それぞれ、比照検討の上、右控訴の趣意について、次のように判断する。

第一点(事実の誤認の論旨)について

この論旨に関する判断に入る前に、まず、職権により調査すれば、本件は、原審においては、刑事訴訟法施行法第五条により、もし、被告人からあらかじめ書面で弁護人を必要としない旨の申出があつたときは、弁護人がなくても開廷することができる事件であつたものであるが、被告人からかかる書面の提出がなかつたばかりでなく、かえつて、被告人は、原裁判所に対する弁護人選任に関する回答書なる書面によつて、国選弁護人を頼みたいとの申出をしていたにかかわらず、原裁判所は、これを閑却して、国選弁護人を附せず、終始弁護人のないままで審理、判決したものであることが記録上明らかなところであるから、原裁判所は、この点において、訴訟手続に関する法令の違反をおかしているものといわなければならない。ただ、弁護人は、被告人の利益の保護のために附せられるものと解すべきものであるが、原裁判所は、有罪の判決をしたものではなく、無罪の判決をしたものであるから、弁護人なくして審理、判決した右訴訟手続に関する法令の違反が、判決に影響を及ぼすことが明らかなものとは、解することができない。よつて、このように、原判決が無罪の判決である限り、右の違法は、原判決を破棄すべき理由とはならないものといわなければならない。

そして、原審においては、右のように、弁護人を必要とする事件について、終始弁護人のないままで訴訟が行われたものであるから、原審の訴訟手続は、その全過程を通じて違法ではあるが、原判決が無罪の判決であつたため、かかる訴訟手続の違法があるにもかかわらず、この理由によつては、原判決が破棄されないものであることは、前叙のとおりである。よつて、当審において、進んで、原判決に判示された無罪の理由に事実の誤認があるかどうかを判断するにあたつては、右弁護人の問題に関する違法の点は顧慮することなく、原審における審理の内容を検討して、これをその判断の資料に供することができるものと解しなければならない。そこで、果して、原判決に、検察官所論のような事実の誤認があるかどうかについて考えると、原裁判所は、本件公訴事実について、犯罪の証明が充分ではない旨判示して無罪の判決をしたものであるが、記録によつて、原審に現われた各証拠を検討するときは、原判決に判示されたように犯罪の証明が充分でないものとは、解し難いのであつて、当審において行われた事実の取調の結果からみても、この判断に変りはない。それゆえ、原裁判所は、事実の誤認をおかしたものというほかなく、しかも、その誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかなものであるから、原判決は、このため、破棄を免れないものといわなければならない。従つて、この点に関する検察官の論旨は、理由がある。

なお、さきに判断したように、原審の訴訟手続は、その全過程を通じて違法であるから、本件は、第一審において初から完全に手続をやり直す必要があるものであつて、もとより、当審において自判することができないものであることは、明らかなところであるから、刑事訴訟法第三百八十二条、第三百九十七条第一項、第四百条本文により、原判決を破棄して、本件を原裁判所に差し戻すこととする。

よつて、主文のとおり判決する。

(その他の判決理由は省略する。)

(裁判長判事 高野重秋 判事 真野英一 判事 堀義次)

検察官の控訴趣意

第一点原判決には判決に影響を及ぼす事が明らかな事実の誤認がある。

原判決は、本件公訴事実は「被告人は氏名不詳年令三十五、六才の男と共謀の上、昭和二十四年八月九日午前四時三十分頃、東京都台東区上野駅に於て吉沢幸太郎所有の黒皮製二折鞄一個(電車用青色ビロードシート二枚在中)価格合計三千五百円相当を窃取したものである」と謂うに在るが「犯罪の証明が充分でない」との理由で無罪の言渡しをした。然し乍ら

一、原審に於ける証人菅家富衛の証言中、自分が上野駅附近を警戒中、現場に於て、被告人外一名の挙動不審者を発見、約三十分見張つて居ると被告人等は、同じ芝生の上で、鞄を枕にして居る男をねらつている様であつたが、自分が一寸油断をした隙に被告人が鞄を持つて芝生から出て来た。それで「やつたな」と、思つて逮捕した。被告人は、逮捕されてから、そこに居た三十五、六才の男の逃げて行く後姿を指さして、あの男が盗んだのだと云つたので、被告人を被害者吉沢に預け後を追つ掛けたが、取逃がした。被告人を怪しいと思つた根拠は、芝生の上で寝て居る被害者の傍に三十五、六才の男が居り、七、八米離れて被告人が周囲を見張る様な恰好で約三十分ばかり坐つて居り自分が一寸見張の位置から離れて戻つて来た時、丁度被告人が鞄を抱えて芝生から出て来たから盗んだ現場は、見なかつたが、前後の事情から判断して被告人が怪しいと思つて逮捕した。(第三回公判調書第三十一丁裏乃至第三十三丁裏)

二、原審に於ける証人吉沢幸太郎の証言中、自分が現場の芝生で眠つて居る時に黒皮製折鞄を盗まれた。自分は盗まれた時には眠つて居たが、ふと眼をさますと、被告人が巡査に捕まえられて居た。眼をさました時もう一人の男をその巡査が逃げたと言つて追つ掛けて行つたのを見た。(第二回公判調書第十七丁表乃至第十八丁表)

三、原審に於ける被告人の供述中、自分は、上野駅前で仮睡して居ると見知らぬ三十五、六才か白シヤツを着用した角顔の男が私を起して、色々私の身の上を訊ねるので私の身上話をした。それからその男は自分に此れを持つて居て呉れと言つて黒皮製二つ折鞄を私に寄越したので此れを受取つた時、巡査に捕つた。巡査が私を捕えると同時にその男は逃げたので、巡査は被害者吉沢幸太郎に此の男を逃がさない様に捕えて居て呉れと私を吉沢に預けてからあれが主犯だと云つて追つ掛けたが捕まらなかつた。(第一回公判調書第七丁表乃至第八丁表)自分は被害者吉沢の隣の隣に寝て居た、約三十分位経つた、自分は寝る前に吉沢と思われる人が何か黒い物を枕にして其の枕にした物が頭から外れそうになつて眠つて居るのを見た。逃げた男は、その吉沢の枕にして居た物の上に足を乗せて寝る所を見た。自分は午前三時三十分頃、その近くに来て吉沢の近くで逃げた男から四時頃煙草をもらい、喫つて居ると、菅家巡査が私服でじつと私を見つめて居るので変な奴だと思つて私も四時三十分頃迄、その人とにらめつこをして居た。その時吉沢は寝て居た。四時三十分になつて、電車が動き出したので逃げた男は電車に乗ろうと思つて立上つたので私も後から立上つた時に、私の足の上に鞄が乗つて居た。吉沢らしい男が其の鞄らしい物を枕にして寝て居る所を見た。(第四回公判調書第四十一丁表乃至第四十四丁裏)

四、原審第二回公判期日に於て検察官が証拠として提出した被告人の司法警察員高橋隆人に対する供述調書中、自分は八月二日に出所し八月八日から上野駅前の芝生の中に寝ていると午前三時三十分頃、三十五、六才五尺二、三寸角顔、開襟シヤツの一見バクチ打らしい男が私の所え来て何をボサツトして居るんだと云うので自分は刑務所から出て来たばかりで何か仕事が無いかと云つたらでは良い仕事を捜してやろう、ついて来いと云うので、ついて行くと上野駅前の木の二、三本生えた所に四十五、六才の国民服の男が鞄を枕にして寝て居るのを見た、すると私を連れて行つた男は今、御前の方え鞄を蹴つてやるから其れを持つて行けと云つたので承知して待つて居たら其の男は寝て居る男の傍に行つて鞄を私の方に蹴つて寄越した。自分はそれを手で受取り、後で其の男に渡そうと思つて五、六歩歩いた所で捕つた。(記録第二十二丁裏乃至第二十三丁裏)

右の証拠を綜合すれば被告人が氏名不詳、年令三十五、六才の男と共謀の上、本件鞄を窃取した事は明らかである。然るに原判決が犯罪の証明が充分でないとした事は事実の誤認があつて、それが判決に影響を及ぼす事が明らかであると思料する。

弁護人の答弁

検察官提出にかかる控訴趣意第一点について

一、原審第三回公判廷における証人菅家富衛の供述によれば、1、検察官の問に対し、問 逃走した男は三十分もかかつて足を使つて鞄を取りはずしたと言うが、答 そうです。問 証人は被告人の盗んだところは見たか、答 盗んだところは見ませんでした。裁判官の問に対し、答 私はその夜上野辺を警戒して居りましたところが挙動不審の二名の男を発見、その者を見張つて居りましたその男達は同じ芝生の上で鞄を枕にしている男をねらつているようでしたが私が見張つているので手を出し兼ねている様子でしたところが私が一寸油断している隙に被告人が鞄を持つて芝生から出て来たのでやつたなと思つて捕えたのです。問 すると被告人が盗んだところは見なかつたのか、答 前に申上げた通りそこは見ませんでした、然し前後の事情から判断したのです。問 被告人が怪しいと思つた根拠は、答 前に前後の事情から判断したと申しましたがその事情というのは上野駅のR・T・Oの前側の芝生の上で寝ている被害者の傍に三十五、六才の男が居り七、八米許りはなれて被告人が周囲の見張りというような恰好で坐つていました、ということであつて結局、イ、逃走した三十五、六才の男が三十分もかかつて(被害者が枕にしていた)鞄を取り外すのを見ていたこと、ロ、(被害者から)七、八米程離れたところで被告人が周囲を見張るような恰好で坐つているのを見たこと、ハ、一寸油断をしている間に被告人が鞄を持つて芝生から出て来たことを認めたというにあるが、2、被告人は却つてイ、原審第一回公判廷において犯行を強く否認し、裁判官の問に対し、答 上野警察署の菅家巡査ですからその場の詳細は同巡査にお尋ね下さいと述べ自己の無罪を信じ、逮捕した巡査を証人として取調べるべきことを乞い、ロ、又原審第四回公判廷において検察官の問に対し、答 その時登山帽を冠つた男(菅家巡査)が私服で私をぢつと見つめるので変な奴だと思つて私も四時三十分頃迄その人とにらめつくらをしていましたと述べ、自分が他人の異常な注目を浴びていることを知つて「変な奴だ」と思つて「にらめつこ」をしたことはこの時被告人には邪念がなく、本件犯行を共謀する意がなかつたことを表明して余りあるものである。(尚被告人はその後全く正道に復し現住居に於て数名の従業員を使い生業の大工職に従事している。)

二、原審第二回公判廷における証人吉沢幸太郎(被害者)の供述によるも単に起訴状記載の日時、場所に於て同記載のような被害を受けた事実のみを認め被告人が盗んだところは見ていないのである。

三、検察官指摘の原審公廷における被告人の供述によるも、これらの供述は被告人が臓物の寄蔵を受けたるにあらざるかの疑を生ぜしめるに過ぎないのであつて、本件窃盗共犯を認定するには足らないものである。

四、司法警察員高橋隆人に対する被告人の供述調書の記載に関しては、被告人は、その時私は刑務所は昔と違つて待遇が良いので行つても良いと思つてそのようなことを言つてしまつたのです(原審第二回公判廷における被告人の供述)、私はその時は生活に苦しい娑婆よりも楽な刑務所の方がよつぽど良いと思つて嘘を言つたのです(原審第三回公判廷における被告人の供述)、ということであつて、当時の被告人の境遇に鑑み右供述の真実性を認めることができるのである。

右縷述するように被告人の本件窃盗共犯を認定するには不充分な且つ互に補うことができない証拠をどのように集積するも被告人の有罪を認定するには依然不充分であつて原審判決には検察官のいうような事実の誤認はないものと思料する。

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